生きている意味は?
2009.07.02 Thursday
先週末からblogを更新しようと思っていて日々、思った事を書きとめている。
しかし今更ですが、文才もなく主義主張もあまりない為に・・・全て書きかけで終わっている。
そのうちまとめてエントリーしてみようかと思っています。
今日は、先ほど帰りの車で音楽を聴きながら思った事を書いてみようと思います。
これから記してみようと思っている事には、メッセージ性もおそらくなく・・・・ただ自分の過去や心うち・・・そんな事を書いてみたいと思う。
何のメッセージ性もない為・・・心よく思わない方も多いかもしれない・・・ただ僕の気持ちをなるべく真実に書いてみたいと思います。
生きている意味・・・人間を始め生物は、生きてる意味は全くないと思う。
いくら考えても全くその意味を見いだせない。
生きている意味は?
この問いに答えられる人はいるのだろうか?
おそらくいない。
望みもしないのに・・・いつの間にか生きている。
僕は、自分とは何者か・・・と言う事を・・・幼稚園〜小学生辺りまでよく考えていたんだけど・・・その答えは出なかった。
生きてしまったら・・・後付で理由は色々作れる。
しかし皮肉な事に・・・その理由、大半は、生きている意味を否定する事にもなりえる。
人間としての営み全般が、その事を証明しているのですが・・・一例では・・・
家庭を作り、子供を作る・・・種の保存をすると言うこと。
これを生物の本能とする。
しかし・・・人によっては身体的都合から子供を作れない場合もある。
現代では、社会問題から少子化傾向にもある。
また不況から働くと言う事においても意味を見いだせなくなっている。
さらに基本的人権などと言う・・・あまりにも意味不明すぎる正義をかざしたりもするが、人の争いはなくならない。
生きている意味を見いだして行く中で・・・たしかに良いと思われる事もあるかもしれない・・・けれど・・・繰り返しになりますが・・・生きている意味が、人を殺すことにもつながる。
と言う事を考え出すと・・・明日にも死にたい僕が、今にも死にたくなる。
ですので考えない様にしていますが・・・(笑)
次の話題へ・・・
幼稚園の頃です。
3.4才だったと思います。
母に初めて買い物を頼まれた時の事。
下(我が家は坂の上)の商店で洗剤を買ってくる・・・と言う内容でした。
お金を貰い、初めての買い物、母の役に立てると思ったのか・・・子供ながらに僕は、ものすごくウキウキして買い物にでました。
坂道で近所の1つ?年上の方に、会いました。
その人は、何を思ったのか・・・僕をいかせないようにして・・・何か問答をした後・・・お金を取り上げると(何故か10円)通してくれました。
暴力を振るわれたわけではありませんが・・・すごく悲しい気持ちになった。
お互い幼稚園生と言う子供・・・何故、相手がそういう事をするのか全く理解が出来なかった。
そのまま商店に行き、洗剤を頼みました。
店主は、よく知ってる方なので・・・そのお金で買える物を出して来てくれました。
しかし・・・僕は、母が望んだ商品と違うのは分かっていたのです。
だから
「これじゃないです。」
とお店の人に言いました。
しかしお店の人は、お金が足りないから・・・こっちだと思う・・・と言ってその違う商品を渡しました。
そのまま家に帰り、母に渡しました。
母は、もちろん・・・
「これじゃないよ〜おつりあるでしょう?」
みたいに聞き返してきたのですが・・・まさか取られたともお店の人が間違ったとも言えず・・・結局、僕が落としてしまったのかも・・・なんて言ったのを覚えています。
その時・・・お金をとられると言う行為にあい僕が悲しいを思いをした・・・僕が本当の事を話せば・・・みんなが悲しむ・・・そう思い・・・自分のせいにする・・・と言う事を思いついたのです。
善意から思いついた事ではありません。
自分が言わなければ自分だけの悲しみで済む。
他人が悲しむの見て、もっと深い悲しみを感じるより・・・良いと思っただけの事です。
自分を守る為だったと言えます。
そのあとしばらく・・・ものすごく悲しかったのを覚えています。
それ以来・・・数年間、買い物は断りました。
1人で外に出るのも極力しませんでした。
前述の話と前後しますが・・・幼稚園に入る前、2.3才の頃かな・・・
家を建て直す為に近くのアパートに引っ越しをしたんです。
その時・・・初めて会った近所の子供にいじめられて・・・
アパート裏の川に落きざりにされました。
どういった事かと言うと・・・まず一緒に川の土手に降りました。
その時は、仲良く遊んでいたのです。
しかし彼は1人で土手を上がり・・・1人であがれない僕をからかい始めたのです。
手を差しのばして・・・引っ込めてみたり・・・僕は、100%その人を信用していました。
一緒に仲良く遊んでくれる人で、まさか僕にそんな仕打ちをするなんて事は思ってもみなかったのです。
泣き叫びました。
我が家の飼い犬の鳴き声が聞こえます。
僕は、犬の名前を叫び・・・助けを求めました。
僕をからかっている方は・・・
「もっと叫べ〜助けにくるわけないだろう〜」
と罵声を浴びせ続けました。
しばらくして彼も飽きたのか・・・助けてくれました。
後の心境はあまり覚えていません。
ただ母に後で言われたのです。
「土手で泣いていたでしょう、何をしていたのか?」
僕は、その時・・・ハッと思い・・・川に落ちてあがれなくなった・・・と答えました。そして助けて貰ったと言ったと思います・・・。
母はどうやらその一部始終を見ていた様でした・・・。
ですのでそれ以上、僕に何も言いませんでした。
相手の事を悪く言ったりもしていませんでした。
母も自分の子供がいじめられている悲しみを自分の中で消化したと感じました。
母にしてみれば・・・子供の遊びの中だから・・・と言った認識だったのかもしれませんが・・・・
まぁたしかにそうです、今、僕が子供のけんかを見てもその程度にしか感じないかもしれません。
人が信用出来ない事を知った出来事でした。
小学生の頃です。
近くの街に引っ越しました。
近所の子供達で遊んでいたのですが・・・3才年上の人にいじめられていました。
毎朝・・・プロレスごっこと称しては殴る蹴る。
そんなにひどくはなくて・・・ある程度の手加減はありました。
その年上の人は・・・他の人の事も少しいじめ?の対象にしたのですが、たいがいはやり返したり反抗するので・・・すぐ収まりました。
僕は、幼稚園の時の経験から・・・反抗出来なかったのです。
ただただ悲しみの涙を流す毎日でした。
泣いていると余計に相手の感情を刺激したりするみたいで・・・手加減されていたのが、ひどい仕打ちになってきたりする事も経験しました。
悲しみの涙が、相手を追い込む事を学びました。
後で聞いた話ですが、いじめていた方は、同学年の中だとからかわれたりしていて・・・相手にされてなかったとの事・・・その様な思いを僕たち年下にぶつけていたのかもしれません。
時はたちます。
3才年上なので・・・4年生になれば、相手は卒業します。
いつの頃からそれに気づきました。
その日まで耐えれば済むことだ・・・と夜、布団の中で泣いていたのを思い出します。
そしてその日が来ました。
今日からは、学校が楽しくなるんだ〜なんて思っていました。
しかし・・・本当のいじめはここから始まったのです。
同級生で僕がいじめられるの見ていた方がいました。
その人が全く同じ様な事を僕にし始めたのです。
こちらは・・かなりすごくて塾の行き帰りなども大変でした。
殴られたあざなども出るようになり家でも不振がられました。
母は、父が暴力を振るったんじゃないかと思ったり・・・・。
僕は、本当の事を言えませんでした。
同級生の彼からそんな仕打ちを受けている事は、数名をのぞいては知りませんでした。
その彼は、頭もよく優等生。
とてもそんな事をする人に見えてなかったでしょう。
ですので僕は、全てを自分の中で消化しました。
ただただ・・・相手に対して思った事は・・・
殴られば痛い・・・人が悲しむ・・・なんでこの人は分からないんだろう・・・。
そう思っていました。
このまま僕が死ねば・・・表面化して相手も分かってくるのかも・・・そんな思いで殴られ続けていました。
しかし相手としては・・・僕がやり返さない事・・・余計に腹だたしく・・・相手にして見たら・・・そんな弱い人間じゃ世の中渡っていけないと思い・・・僕を鍛えてくれていたのかもしれません。
僕は、何も出来ません。
小さい頃に悲しむ・・・と言う感情を肉体を持って覚えさせられ人に言わなければ・・・自分だけで済むと言う防衛手段を思いついた。
自分が相手より早く出来る事なども・・・わざと遅くしたりしていました。
何をするにも・・・自分が目立たないように・・・クラスで一番だらしない人に・・・・僕だけが非難の的になれば・・・いい。
これはけして善意ではありません・・・ただただ自分における逃避行動です。
そしていつの頃からか・・・本当に自分は何の才能もない事に気づかされた。
スポーツ、音楽・・・勉強・・・人柄・・・全てにおいてだめな自分・・・
ある時から・・・・何の努力もしない自分になり・・・努力に意味を見いだせなくなり・・・明日が来ない事を望む自分がいた。
悲しみと言う感情だけを与えられ・・・何の才能も与えらていない僕
それをバネに糧にして生きる意味を見いだせればいいのでしょう・・・が・・・・・・。
今の社会の価値観の中では・・・ただ泣いてる人を・・・よしとはしてくれません。
みんな辛い事があり・・・戦いの勝利を目指して頑張っているのです。
頑張っていないと見える人には・・・生きている資格がないかのごとくに冷たい社会です。
その上、よくわからない正義感もあったりする・・・・矛盾だらけです。
前述した人たちは・・・みなさん、勉強も出来たし・・・今は、家庭を持ったり経済的にも恵まれていたりしています。
ものすごく努力したのでしょう、素直に喜びたいと思います。
僕は、頑張ってる人を否定するつもりありません。
いじめる事を否定するつもりもありません。
ただ・・・1つ・・・・書いておきたいとすれば・・・
出来る人だけ価値があるのではありません。
出来ない人、悲しんでる人・・・・役に立ってないと思われる人・・・
全てに価値があります。
生きていると言うのは・・・加害者、被害者、恵まれている人、いない人・・・誰にとってもものすごく大変な事です。
いじめる方、いじめらる方、暴力をふるう方、ふるわれる方・・・
どちらが善で悪か・・・・僕には分からない。
もっと言えば、善も悪もないのでしょう。
お互いに様々な思い背景があり・・・加害者にも被害者にもなりえる・・・心持ちも・・・軽かったり重かったり・・・簡単には括りきれません。
生きている意味なんかないのです。
その事を思い・・・ただ1つ言える事・・・
生きている価値を・・・
死ぬためだけに見いだした人は・・・もっとも価値のある人でしょう。
おしまい♪
次回は・・・過去の彼女の事をかいてみたいと思っています。
時間がたてばたつほど僕の歩みの中での彼女の存在の意味を考え、思わされます。
初めて出会った才能であり、後にも先にもあんな才能を持った人は現れないでしょう。
お楽しみに(笑)ウガググッ・・・サザエさんより
しかし今更ですが、文才もなく主義主張もあまりない為に・・・全て書きかけで終わっている。
そのうちまとめてエントリーしてみようかと思っています。
今日は、先ほど帰りの車で音楽を聴きながら思った事を書いてみようと思います。
これから記してみようと思っている事には、メッセージ性もおそらくなく・・・・ただ自分の過去や心うち・・・そんな事を書いてみたいと思う。
何のメッセージ性もない為・・・心よく思わない方も多いかもしれない・・・ただ僕の気持ちをなるべく真実に書いてみたいと思います。
生きている意味・・・人間を始め生物は、生きてる意味は全くないと思う。
いくら考えても全くその意味を見いだせない。
生きている意味は?
この問いに答えられる人はいるのだろうか?
おそらくいない。
望みもしないのに・・・いつの間にか生きている。
僕は、自分とは何者か・・・と言う事を・・・幼稚園〜小学生辺りまでよく考えていたんだけど・・・その答えは出なかった。
生きてしまったら・・・後付で理由は色々作れる。
しかし皮肉な事に・・・その理由、大半は、生きている意味を否定する事にもなりえる。
人間としての営み全般が、その事を証明しているのですが・・・一例では・・・
家庭を作り、子供を作る・・・種の保存をすると言うこと。
これを生物の本能とする。
しかし・・・人によっては身体的都合から子供を作れない場合もある。
現代では、社会問題から少子化傾向にもある。
また不況から働くと言う事においても意味を見いだせなくなっている。
さらに基本的人権などと言う・・・あまりにも意味不明すぎる正義をかざしたりもするが、人の争いはなくならない。
生きている意味を見いだして行く中で・・・たしかに良いと思われる事もあるかもしれない・・・けれど・・・繰り返しになりますが・・・生きている意味が、人を殺すことにもつながる。
と言う事を考え出すと・・・明日にも死にたい僕が、今にも死にたくなる。
ですので考えない様にしていますが・・・(笑)
次の話題へ・・・
幼稚園の頃です。
3.4才だったと思います。
母に初めて買い物を頼まれた時の事。
下(我が家は坂の上)の商店で洗剤を買ってくる・・・と言う内容でした。
お金を貰い、初めての買い物、母の役に立てると思ったのか・・・子供ながらに僕は、ものすごくウキウキして買い物にでました。
坂道で近所の1つ?年上の方に、会いました。
その人は、何を思ったのか・・・僕をいかせないようにして・・・何か問答をした後・・・お金を取り上げると(何故か10円)通してくれました。
暴力を振るわれたわけではありませんが・・・すごく悲しい気持ちになった。
お互い幼稚園生と言う子供・・・何故、相手がそういう事をするのか全く理解が出来なかった。
そのまま商店に行き、洗剤を頼みました。
店主は、よく知ってる方なので・・・そのお金で買える物を出して来てくれました。
しかし・・・僕は、母が望んだ商品と違うのは分かっていたのです。
だから
「これじゃないです。」
とお店の人に言いました。
しかしお店の人は、お金が足りないから・・・こっちだと思う・・・と言ってその違う商品を渡しました。
そのまま家に帰り、母に渡しました。
母は、もちろん・・・
「これじゃないよ〜おつりあるでしょう?」
みたいに聞き返してきたのですが・・・まさか取られたともお店の人が間違ったとも言えず・・・結局、僕が落としてしまったのかも・・・なんて言ったのを覚えています。
その時・・・お金をとられると言う行為にあい僕が悲しいを思いをした・・・僕が本当の事を話せば・・・みんなが悲しむ・・・そう思い・・・自分のせいにする・・・と言う事を思いついたのです。
善意から思いついた事ではありません。
自分が言わなければ自分だけの悲しみで済む。
他人が悲しむの見て、もっと深い悲しみを感じるより・・・良いと思っただけの事です。
自分を守る為だったと言えます。
そのあとしばらく・・・ものすごく悲しかったのを覚えています。
それ以来・・・数年間、買い物は断りました。
1人で外に出るのも極力しませんでした。
前述の話と前後しますが・・・幼稚園に入る前、2.3才の頃かな・・・
家を建て直す為に近くのアパートに引っ越しをしたんです。
その時・・・初めて会った近所の子供にいじめられて・・・
アパート裏の川に落きざりにされました。
どういった事かと言うと・・・まず一緒に川の土手に降りました。
その時は、仲良く遊んでいたのです。
しかし彼は1人で土手を上がり・・・1人であがれない僕をからかい始めたのです。
手を差しのばして・・・引っ込めてみたり・・・僕は、100%その人を信用していました。
一緒に仲良く遊んでくれる人で、まさか僕にそんな仕打ちをするなんて事は思ってもみなかったのです。
泣き叫びました。
我が家の飼い犬の鳴き声が聞こえます。
僕は、犬の名前を叫び・・・助けを求めました。
僕をからかっている方は・・・
「もっと叫べ〜助けにくるわけないだろう〜」
と罵声を浴びせ続けました。
しばらくして彼も飽きたのか・・・助けてくれました。
後の心境はあまり覚えていません。
ただ母に後で言われたのです。
「土手で泣いていたでしょう、何をしていたのか?」
僕は、その時・・・ハッと思い・・・川に落ちてあがれなくなった・・・と答えました。そして助けて貰ったと言ったと思います・・・。
母はどうやらその一部始終を見ていた様でした・・・。
ですのでそれ以上、僕に何も言いませんでした。
相手の事を悪く言ったりもしていませんでした。
母も自分の子供がいじめられている悲しみを自分の中で消化したと感じました。
母にしてみれば・・・子供の遊びの中だから・・・と言った認識だったのかもしれませんが・・・・
まぁたしかにそうです、今、僕が子供のけんかを見てもその程度にしか感じないかもしれません。
人が信用出来ない事を知った出来事でした。
小学生の頃です。
近くの街に引っ越しました。
近所の子供達で遊んでいたのですが・・・3才年上の人にいじめられていました。
毎朝・・・プロレスごっこと称しては殴る蹴る。
そんなにひどくはなくて・・・ある程度の手加減はありました。
その年上の人は・・・他の人の事も少しいじめ?の対象にしたのですが、たいがいはやり返したり反抗するので・・・すぐ収まりました。
僕は、幼稚園の時の経験から・・・反抗出来なかったのです。
ただただ悲しみの涙を流す毎日でした。
泣いていると余計に相手の感情を刺激したりするみたいで・・・手加減されていたのが、ひどい仕打ちになってきたりする事も経験しました。
悲しみの涙が、相手を追い込む事を学びました。
後で聞いた話ですが、いじめていた方は、同学年の中だとからかわれたりしていて・・・相手にされてなかったとの事・・・その様な思いを僕たち年下にぶつけていたのかもしれません。
時はたちます。
3才年上なので・・・4年生になれば、相手は卒業します。
いつの頃からそれに気づきました。
その日まで耐えれば済むことだ・・・と夜、布団の中で泣いていたのを思い出します。
そしてその日が来ました。
今日からは、学校が楽しくなるんだ〜なんて思っていました。
しかし・・・本当のいじめはここから始まったのです。
同級生で僕がいじめられるの見ていた方がいました。
その人が全く同じ様な事を僕にし始めたのです。
こちらは・・かなりすごくて塾の行き帰りなども大変でした。
殴られたあざなども出るようになり家でも不振がられました。
母は、父が暴力を振るったんじゃないかと思ったり・・・・。
僕は、本当の事を言えませんでした。
同級生の彼からそんな仕打ちを受けている事は、数名をのぞいては知りませんでした。
その彼は、頭もよく優等生。
とてもそんな事をする人に見えてなかったでしょう。
ですので僕は、全てを自分の中で消化しました。
ただただ・・・相手に対して思った事は・・・
殴られば痛い・・・人が悲しむ・・・なんでこの人は分からないんだろう・・・。
そう思っていました。
このまま僕が死ねば・・・表面化して相手も分かってくるのかも・・・そんな思いで殴られ続けていました。
しかし相手としては・・・僕がやり返さない事・・・余計に腹だたしく・・・相手にして見たら・・・そんな弱い人間じゃ世の中渡っていけないと思い・・・僕を鍛えてくれていたのかもしれません。
僕は、何も出来ません。
小さい頃に悲しむ・・・と言う感情を肉体を持って覚えさせられ人に言わなければ・・・自分だけで済むと言う防衛手段を思いついた。
自分が相手より早く出来る事なども・・・わざと遅くしたりしていました。
何をするにも・・・自分が目立たないように・・・クラスで一番だらしない人に・・・・僕だけが非難の的になれば・・・いい。
これはけして善意ではありません・・・ただただ自分における逃避行動です。
そしていつの頃からか・・・本当に自分は何の才能もない事に気づかされた。
スポーツ、音楽・・・勉強・・・人柄・・・全てにおいてだめな自分・・・
ある時から・・・・何の努力もしない自分になり・・・努力に意味を見いだせなくなり・・・明日が来ない事を望む自分がいた。
悲しみと言う感情だけを与えられ・・・何の才能も与えらていない僕
それをバネに糧にして生きる意味を見いだせればいいのでしょう・・・が・・・・・・。
今の社会の価値観の中では・・・ただ泣いてる人を・・・よしとはしてくれません。
みんな辛い事があり・・・戦いの勝利を目指して頑張っているのです。
頑張っていないと見える人には・・・生きている資格がないかのごとくに冷たい社会です。
その上、よくわからない正義感もあったりする・・・・矛盾だらけです。
前述した人たちは・・・みなさん、勉強も出来たし・・・今は、家庭を持ったり経済的にも恵まれていたりしています。
ものすごく努力したのでしょう、素直に喜びたいと思います。
僕は、頑張ってる人を否定するつもりありません。
いじめる事を否定するつもりもありません。
ただ・・・1つ・・・・書いておきたいとすれば・・・
出来る人だけ価値があるのではありません。
出来ない人、悲しんでる人・・・・役に立ってないと思われる人・・・
全てに価値があります。
生きていると言うのは・・・加害者、被害者、恵まれている人、いない人・・・誰にとってもものすごく大変な事です。
いじめる方、いじめらる方、暴力をふるう方、ふるわれる方・・・
どちらが善で悪か・・・・僕には分からない。
もっと言えば、善も悪もないのでしょう。
お互いに様々な思い背景があり・・・加害者にも被害者にもなりえる・・・心持ちも・・・軽かったり重かったり・・・簡単には括りきれません。
生きている意味なんかないのです。
その事を思い・・・ただ1つ言える事・・・
生きている価値を・・・
死ぬためだけに見いだした人は・・・もっとも価値のある人でしょう。
おしまい♪
次回は・・・過去の彼女の事をかいてみたいと思っています。
時間がたてばたつほど僕の歩みの中での彼女の存在の意味を考え、思わされます。
初めて出会った才能であり、後にも先にもあんな才能を持った人は現れないでしょう。
お楽しみに(笑)ウガググッ・・・サザエさんより