2010.07.29 Thursday
絶望と救済
久しぶりのアップです。
最近、色々と動いていて・・・様々な現象と出会います。 今、少し自分の歩みについて思い考えている所で・・・ゆっくりと考えています。 そこで「絶望」と言う事がどういう事か・・・またそこにある救済論的な物を僕なりものすご〜〜〜く簡単に書き記しておこうと思います。 結論と言うか・・・僕は、1つ思うところがあります・・・それもこの機会に・・・。 今までの僕の人生に「絶望」と言える何かは、あったのだろうか・・・? その検証から初めてみたいと思う。 何度かこのblogにも書いてきているが・・・ ※幼稚園の時のかつあげ事件 ※小〜中で受けた不思議ないじめ? ※許せない自分を知ったあの時・・・ 一番、死に近かったのは、「許せない自分を知った時」・・・だった様に思う。 希望という感覚を発見したのは・・・「小〜中で受けた不思議ないじめ?」の時・・・毎日、殴られる訳だから・・・殴られずにいた日は、まさに希望を知った時であった。 かつあげ事件では、初めて他者の悪意と言うのを知った・・・・。 前述で絶望が登場するとしたら・・・希望を知った時である。 絶望と言うのは・・・文字通り、望みが絶たれる時・・・。 つまり望みがなければ絶望はない。 僕は、「生きる」と言うことを一度も望んだ事がない。 と言うか考えた事がなかった。 だから死に近かった事はあっても・・・絶望ではなかった。 さらに死にたいと思った事も一度もない・・・。 (過去、blogに死にたいと書いた事もある・・・が・・・あれは何かを表現する為に書いていると理解して頂けたらと・・・・思う。) 死にたいと思った事もないので・・・死に絶望を抱いた事がない。 ただ1つ・・・明日が来ない方が良い・・・とは毎日思っていた時期がある。 明日が来ない方が良い・・・その願いは今まで叶ったことない。 必ず、明日が来ている、しかし明日が来るかはまだ分からないので望みは絶たれていない。 希望と絶望は、隣併せで表裏一体なんだと思う。 人間は、悲しいかな・・・必ず感情がある。 感情がない人間は1人もいない・・・と思う。 人間は、無になれない・・・悟りを開く等と言う事はありえない。 今、釈迦の本を読んでいるいるが・・・僕には神話か創作としか捉えられない。 何故、無になれないのかというと、他者が存在するからである。 他者の意識が常に存在する限り、無はあり得ないのだ。 今、生きて呼吸をする人間全員が、同時に悟りを開けば無もある事かもしれない。 全てが無である・・・そんな考え方もある。 しかし無と言う状況も・・・実は、とても満ち足りている状況であるのだ。 人は、生きている限り必ず満ち足りているのだ。 満ち足りてないと感じるのは・・・人の目で見える範囲しか見ていないから。 僕は、今、パソコンの画面を見ているが・・・パソコンの裏側が見えたらどうだろうか? 物理的に見えない所が見えたら人は、安心感をたくさん覚えるはずである。 盗聴したり盗撮したりする心理は・・・見えない所を見て安心感を得る為かもしれない。 話を戻しますが・・・人間と言うのは必ず感情がある。 それはどういう事と言うと・・・人間関係において・・・ 必ず・・・与えたり与えられたり・・・そんな利害が生まれる。 と言うことは・・・人間であれば・・・ 人に絶望も希望も与える事が出来るのである。 素晴らしい事であると思う。 与える事=救済 であろうか? たしかに一時的には、救済になる・・・なので与えた方が良いと思う。 真の意味での救済・・・それは・・・ 「無効化」 であると思う。 負債を負ってる人の負債を無効化する。 これは、免除するのではない、文字通り「無効化」するのだ。 絶望の無効化 希望の無効化 生の無効化 死の無効化 この「無効化」こそが、救世主の持つ業であると僕は、思い考えている。 全てが無効の世界・・・それは天国である。 もう少し掘り下げれば・・・ 神は、全て良い物をお造りになった。 人の思いが、「無効化」された時・・・神の秩序だけが残る。 その秩序は、「全て良かった・・・」 さて・・・僕の言いたいことを書いておきたいと思う。 「無効化」の秩序を思う時・・・僕と言う人は、「自ら命を絶つ事」・・・そういった行動を初めて思いつく。 命を絶つことに誇りすら持てる。 それはきっと・・・・今の僕の時間軸が・・・未来とか過去とか・・・そういった物を無効化の中で捉える様になったからだと思う。 だめだ・・・・眠いので寝ます。 ちゃんとまとめて言いたいことを整理しつつ書きたいのだけど・・・。 眠気も無効化されないものか?(笑) |