Dai's Blog

ベースと言う楽器
音楽と言うツールを通して日々、感じたこと、思い気づいた事を綴っています。

愛せない人
ストリームのタイヤがスタッドレスになった。
走りにくい・・・・。


母が、熱を出していると言うので、実家に行った。
裏道を歩いて行ったのだが・・・父の実家が、まだそのままの建物だったのに少し驚いた。

小さい頃(幼稚園)、よく遊んでいた場所などを歩いてみたのだが・・・舗装されていたり、だいぶ様変わりをしていた。


先程、コンビニの前を通った。
若者たちが屯し・・・・なにやら怪訝な表情で話あっている。

そんな様を見ながら、商店街を歩いていたんだけれど・・・・・・
僕と言う人は・・・何をどうするべきなんだろう・・・・・きっとこうすべきなんだろうな・・・とか・・・まぁ色々と思った。


帰りにTSUTAYAに寄ってみた。
久しぶりに何か海外ドラマでも見ようかな〜と思ったのだが、結局何も借りなかった。

その時、思ったのだが・・・お金の力(と言い切れないのだが)はすごい・・・と感じた事があった。

色々な作品が、あるのだが・・・伝記や時代物など・・・過去を伝える作品も多い。

戦争などは、ある意味、悲劇だろう・・・その悲劇を物語にしてお金にしているのだ。

もちろん、使命感を持って伝えているのかもしれないが・・・。

僕は、使命感等と言うものは、思い込みでしかないと思う。

自殺をする人を助けるのは、わがままでエゴだと思う。

人間がなす事は、全てが耐えられない事・・・今の僕は、そういう思考・・・そう感じてしまう・・・・


思い悩んでるわけではなく、実際に人との交わりと言うのは・・・耐え切れない事ばかりだ。

と言っても・・・だからどうなるのか・・・と言うこともないのだが。

人間は、支え合って生きているのではない。
支え合って殺し合ってる・・・・としか僕は、思えない。


命をつなぐ必要は、全くない。
生きる必要もない・・・

なんなこんな事を書いていると・・・ちょっとおかしな人と思われそうだし、精神的な不安定な人だと思われそう。

しかし・・・僕は、とても安定していると思っている。

なぜ、人は、正当化をしたがるのだろうか・・・

今の僕は、罪責感がとても多くて・・・生きられない。


存在のない人を・・・あなたは愛せますか?

存在のない人とは・・・想像できる範囲で言えば・・・未来の人や過去の人・・・。

存在のない人を愛せるならば・・・核兵器もいらないし・・・殺し合いもいらないはずだ。

武器も殺し合いもいらない。

人は、人を愛せない。

それは、未来を推測出来ながら自分の存在しか愛せないから

存在のない人が・・・あなたの周りにいませんか?

音信不通の人、孤独な人・・・・・・

僕の周りにはいっぱいいます。

けれど・・・愛せません。


携帯電話やパソコン、全てを売り払って・・・・残りの歩みをすごそう。

今まで生きてきて・・・犯した罪はあまりに大きすぎる。
どう生きても・・・罪が大きすぎて・・・どうにもならない。



秩序のある世界・・・・・・そんな物は・・・どこにもないのだろうか・・・

にも関わらず・・・太陽はきっと明日も登る。


さようなら・・・






一応、補足を・・・

僕は元気です、ものすごく元気です。
けれど人と会いたくないのは事実です。
しばらくひきこもります・・・。

一人で考えたいんです。





| 見つめ直し | 00:07 | - | - |
家庭科と愛
日々、色々な事がる。

その中で、ストレートなお思いを書き出したい気持もあるのだが・・・今日はまたそんな中で感じた事を、気づかされた事を書き記しておきたいと思う。
(実は・・・いいたこともまとまりもないので・・・何かを感じてくれたら幸いです。)


人の営みの中、人の感情には、「欲」と言われる物があるらしい。

物欲、食欲、性欲、睡眠欲・・・etc・・・

最低限生きるために必要な欲と支配をしたい、支配をされたい・・・みたいな付加価値欲・・・

まあ、色々とある。

某家庭科ソングを聞いていた。



歌詞を簡単に抜き出してみる。

「お腹が減ったら何食べる?寒くなったら何を着て?どんなおうちに住めばいい?いったい、わたしは何出来る?」

こんな疑問から曲が始まる、そして疑問が発展し、家庭科の言葉を思い出すと言うところにたどりつく。


「今日の昼は、何食べよう?食べに行くのもいいけれど・・・思い出しますあの言葉、家庭科のあの言葉」

「人は、家庭科なしでは、生きられない。」

この歌詞から↑次第に前向きになっていく、歌詞に続く。


「魚が食べたい、アジのフライを作ってみよう、きっと出来る三枚おろし・・・もっと広がる明日の献立」



「素敵な人生、切り開いていくわ・・・・」

と曲は終わる。


前向きになり、素敵な人生・・・と称する物になっていくのはなぜなんだろう?

それは、おそらく家庭科なしでは、生きられない・・・と言う自己の主体性に気づいたからだろう。

人間と言うのは、どれくらい生きるにしろ・・・主体と言う自己の存在に気づいてる人は、ほとんどいない。

なぜなら・・・自分以外の人が多数存在するので・・・自己の主体を持った人は、世の中で居場所がなくなる。

ここで、そんな事は、ない自分は、ちゃんとした主体性を持ったから、生きている・・・何かがあって人生変わった・・・と思う人もいると思う。

それは、それで素晴らしい事だと思います。


人は、色々な事を経験していく。
喜びや悲しみと言った感情や挫折、達成感・・・病気、怪我、反抗期・・・体の変化・・・・・。

そして何かに悩み・・・「自分探しの旅」・・・等と称する物に出る人もいる。

自分探しの旅が、居場所探しの旅になり、答えを見つける事は、主体性を欠くこと・・・
自分ではなく「悩みの解決、納得」を得た・・・と言う事・・・。

「悩み」・・・が・・・・「迷いに」・・・になれば、ある程度の主体性はある。

しかし・・・世の中に生きる限り・・・完全な主体性は、与えられない。
それは、先に挙げた通り、他者の存在、営みがあり、お金をはじめ、衣食住が必要だから。

もっと言えば・・・人は、知恵を与えられてから、死んだらどこへ行くのかをずっと考えて創り上げてきた。
生命誕生の仕組みは、ある程度、わかってきているが、死んだらどこへ行くのかは、分からない。
肉体は、土に帰ると言う表現でいいのだが・・・・魂や霊的な物は、どこに行くのか・・・
はっきり言ってしまえば・・・魂やら霊やら・・そんな物も存在しないはずだ。

しかし・・・人の意識や心はある・・・生きている限り、意識や心の行き場を探し求めるが・・・その答えは・・・分からない物だと思う。

前世がどうの・・・オーラがどうの・・・そんな事は、全くもって僕は信じられない。



人間には、元々、主体性なんて物は、存在しない・・・思い込みである人の主体ほど怖いものはない。

ええと・・・言いたいことは何か・・・話を戻すと(汗)

「欲」と言う表現だと・・・何かいけない事、なくした事のよい様な物に感じる。
けれど・・・この家庭科の歌から、感じたのは、本来そんな物ではないんじゃないかと感じた。

欲を欲としているのは・・・主体性がなく、導き手のない人間の考えた事に感じた。

そしてそこをなんとかしたいと思うひとは、修行をして欲をなくしたり、気づかなくしたりするのを良しとする・・・欲求の美化や聖別を・・・目指すんだと思う。

しかし欲は消えない。

僕の中で・・・欲はなんなんだろう・・・と思い考え少し答えが出た。

それは、悲しみに変わる物・・・だと思う。

僕は、欲が物凄く多いみたいで・・・悲しむ事が多い。

欲を果たした後は・・・悲しみや虚しさ、後悔しか残らない。

もっと言えば、、僕の存在自体が、欲で悲しみであると思う。

仮に美化出来ても・・・それは変わらないのではないかと感じる。


ここで前のエントリーからの続きだが・・・

愛とは、なんだろうか?

存在ある物を認める事は、愛とは言えない。

存在ない物を認める事を、愛と呼ぶんだと・・・僕は思う。

人の存在、主体性と言うものはない。

存在のない人をあなたは愛せますか?


夜、星空を見上げる・・・僕たちは、存在の消えた光を見ている事がある。
その光の存在が、もうない物を見ていると・・・感じた時・・・

愛と悲しみ、霊と肉、無限と有限・・・

そんな神秘的な思いを感じるかもしれない・・・・。



数日前に唐揚げを作った。
唐揚げを作れたこと・・・小さいことかもしれないが・・・

僕にとっての「ありがとう」

存在のない物に向けた愛の気持です。

心安らかな一日で・・・ある事を祈って・・・。

おしまい♪



| | 10:04 | - | - |
愛する事
愛するとは、何か・・・


好み女性に対する、皆様から頂いたコメントや僕の今ままでの歩みから考えてみた。
まず、最初に自分が、人を愛せるかを思ったのだが・・・すごく難しい。

その一瞬、一瞬の中でなら愛する事、愛せた様な気になる事もあるが・・・。

人を好きになったり、何かに対する気持ちと言うのは、思い込みである、と僕は考える。

例えば、男女間の好き合っている気持ちは・・・互いの思い込みが、相乗効果となり、どんどん思い込みが、深まっていく。

互いに愛し愛される気持ちが、許容量を超えたとき、ストレスになったり、思い込めなくなったり、また感情以外に意味を持たせたり・・・様々な方向に進んで行く。

好き・・・この気持が、ある時、嫌い・・・に変わると・・・・
相手を否定する事で・・・自分を楽にしようとする。

相手の存在を消す、もしくは、自分の存在を消す、という事をする事になる。

また男女の間がら(また同性でも)・・・二人と言う、社会の最小単位とも言える間柄での営み、感情の揺れ動きは、そのまま・・・市民社会、コミュニティーに繁栄される。

経済活動、学校・・・etc...

自分の存在を認められたい、認められたくない・・・
他者の存在を認めたい、認めたくない・・・

う〜ん・・・と言うことで・・・僕は、人を好きになる・・・と言う事が分かりません。
が・・・ある意味、好きな人、仲の良い友達、話しをし易い人などはいる。

ただその好きが、思い込みである、男女の恋愛的な所まで、発展しない。

と言うか(笑)今、気づいた。

たぶん、大部分の人は、恋愛と言うことはしてない気がする。

なんとなくそうなっただけではないのか・・・と言う気してきた。

と思う反面・・・今日は、東京駅を歩いたのだが・・・無数のカップルが手をつないだりして歩いてた。

その様な姿を横目に、うらやましい・・・とかは、全然、思わなくて・・・
なんで手をつないでいるかとか・・・

どういった仲なのか・・・経緯などをすごく聞きたくなった。

なんで、その二人がカップルなのか・・・全然、分からない。

僕の正直な気持を告白しようと思う。

許されるのであれば・・・以前お付き合いのあった方との日々に戻りたい。

しかしそれは、無理だ、ドラえもんが現れない限り。

また、戻ったとしても、問題もあることもわかっている。

人は、やり直せない。が・・・何度でもやり直せる。が・・・実はやり直してない・・・現在、未来は、過去の延長線上にある。


愛する事・・・それはまず自己と自己、自己と他己の関係がしっかりしていないと・・・出来ない事に思う。

自己を主体として考える事に、耐えうる人間は、恐らくいない。
限界のある人間は、必ず、主体を失うし向き合えない。

つまり、愛する事は、ある程度の期間しか出来ない事となる。

どうで愛せないとわかっているので・・・人とかかわらない方が良い・・・・そんな気にもなる。

とりあえず中途半端ですが、今日は・・・ここで・・・。

と言うことで・・・

先程、古本屋の100円コーナーで・・・遠藤周作の

「恋愛とは何か?」

と言う本を見つけたので・・ちょっと勉強して寝ます。

おやすみなさい♪


| | 00:17 | - | - |
水族館へ
今日は、家で作業の予定だった。
打ち込みをして・・・オケを作って・・・と・・・。

しかし予定を変更し・・・急遽、油壺マリンパークへ行ってきました。

それは・・なぜか・・・

と言うことで・・・涙なしでは、語れない今日の一日を書き記しておこうと思う。


昨晩は、本を読みながら・・・遅くまで起きていたので・・・
今朝の起床は、8時30分頃だった。

起きだして、下に行く(自室は2階)

こたつに入っている祖母の後ろ姿・・・声をかける。

大「おはよう〜」

祖「おはようじゃないわよ!」

なにかいつもと様子が違う・・・・
昨夜、夜、家に一人だった事により、家族中から無視されていると言う心境になっている。

いままでで一番、感情的な様子だ。

祖「昨日は、何時に帰ってきた?わたしだけ無視して、おこってるのよ!」

涙目だ・・・

僕は、少しづつ紐解いて行くも・・・いつもより感情が激しいので・・・少し動揺していた。

話して行くうちに・・・祖母と一緒に考える・・・と言うことを思い出してそこに立ち返った。

大「今ね・・・◯◯(祖母の呼び名)の心境を自分も考えてみてるんだ」

大「悲しいってどういった感じ?どういった事柄で苛立つ?」

祖「黙ってわたしに隠れて、家を出て行くのよ〜わたしの事を無視して・・・嫌ならわたしが出て行く。」

あくまでも推測だが・・
聞くことろによると・・・祖母は、祖父の家庭に入り、その家族とうまくいってなかった。

その時に陰口的な事を言われて耐えていたりした記憶と、自分が、家事をうまくないと言うコンプレックスとが、襲ってきて・・・

家の人が、無視していると言う疎外感になっているんだと思う。
僕が、事実を話しても、騙している・・・と取られるので・・・

疎外されいている事の気持と共にいる様な話し方や疎外された感情の動きで、損得があるのは・・・あなた自身だけの問題になる。

と言う事をゆっくり説いていく。

今までで、一番、感情が激しかったので・・・

たまには、気晴らしに外でも行こうか〜
と話をふって・・・油壺マリンパークに・・・となったわけである。


伯母さんもさそって、3人で・・・
母は、明後日から福島(親戚で不幸が・・・)に行くので今日は、美容院に行くらしく、同行しなかった。


僕は、このマリンパークには、思い出がある。

年齢は、覚えていないが・・・幼稚園の頃か、小学校一年生頃の頃か・・・。

父に連れられて、たしか二人でマリンパークに行った。
途中、どこかで昼食をとった事、大雨の日だった事を記憶している。

しかしなんで大雨の日に水族館なのか・・・
よく分からない。

このマリンパークには、今もあるのだが、ドーナツ形の水槽にたくさんの魚が泳いでいる所がある。
(http://www.aburatsubo.co.jp/)

本当にあった話だったような記憶があるのだが・・・
その昼食によったお店で、父と店員さんが話していた。

サウンドノベルのゲームならここで大きな効果音が付く。

「ドーナツ形の水槽でサメに食べられた人がいる!!」


って・・・あまり怖いところじゃないか・・・

が・・・幼き僕には・・・「水槽に誰かが落ちるなりで食べられてしまう・・・」と言う話は、すごい怖かった。

そしてその話は、今も忘れていない。

記憶違いか、夢か・・・・・・事実なのか、または、着色された話なのか・・・・。

幼き頃の記憶・・・

「殺人ザメの水族館・・・・」

真相を知る人は・・・コメントを是非・・・。


さて・・・そんな話から一転し・・・何十年ぶりに訪れた水族館は、楽しかった。

イルカショーにものすごく感激してしまいました。

言葉の違う生物との対話。

また、色々な魚を見ていたら・・・不思議な気持になりました。
人の知らない世界は、まだまだあるのかもしれないなぁ〜なんて・・・。


祖母もすっかりご機嫌が良くなった。
ご機嫌が良くなった時は、記憶の混同を起こしてる事を笑いながら話せる。

ご機嫌が良いとは・・・何かに向き合っている時、向き合える時。

思うに安心感を感じてる時なんだろう。

しかしずっと続かないのは、わかっている。
またこの1つ、1つの作業に生産性が、ない事もわかっている。

でも・・・きっとこの生産性のない作業を繰り返す事は・・・意味のある事だ。

施しに生きる僕には・・・そうとしか言えない。

与えられたときに、初めて思う、与える事・・・

秩序のある世界とは、一体なんだろうか?

ルールの中での競争、生かさない秩序ではなく・・・

祈っています・・・・

「生かされる秩序の中に人の歩みがある様に・・・」





| 行動メモ | 00:43 | - | - |
好みの女性
みなさん、こんばんは。
今日は、思いっきりストレートなタイトルです。

色々な事があり・・・結婚・・・と言うことも視野に好みの女性について考えている。


思いついた事を書いてみる。

※容姿
 容姿は、あまり関係ない

※年齢
 18以上〜50未満・・・上から下まで可

※性格
 怒ってけんかしても口は、聞いてくれる人

※希望、要望
 お酒を呑まない、タバコを吸わない、それなりに料理が出来る、掃除も出来ればなお良し・・・

※重要事項
 パッと姿を見たとき安心感を与えてくれる人
 いてくれるだけで・・・ああ、良かった〜ありがとう〜って素直に声をかけれる様な人

※その他
 手をつないで歩いてくれる人


以上・・・この事から考察して見ると・・・
以前にお付き合いしていた人は・・・やはり長い分、安心感がある。


う〜ん・・・しかし好きなタイプってなんだろう・・・
実際は、よく分からない。

男性と女性、特定のカップルなりでいる意味合いってなんだろう?

おそらく意味は、ないんだろうな・・・・

結婚とか・・・誰かとお付き合いをするとか・・・そんな事は・・・しない。
してくれる人が、いても・・・しないでいたい・・・と思うのだけれど・・・。


なぜ、そう思うかと言うと・・・
僕は、未経験な事はしてみたいと・・・思うけど・・・一度、したことは、もうしなくてもいいな〜と思ってしまうから。

結婚は、したことがないので・・・してみたい気もするけど・・・なんとも言えないなぁ・・・。

質問・・・

女性でも男性でも・・・好きとかそういった感情じゃなくても・・・お付き合い出来たりするものなのでしょうか?
またどういった感情なり心境で・・・異性との関係に意味を見出すのでしょうか?

おしまい♪



| 問いかけ | 02:30 | - | - |
矛盾、倫理、正義、安心
◯◯とは何か?

こんな疑問は、考えればいくらでも出てくる。
が・・・疑問を持たずとも自然に人は、営みをしているし・・・必要のない疑問だったりする。

現代は・・・お金の時代・・・・
今の日本、いや世界では、いわゆるお金があれば何でも出来る。
グローバル化された資本主義社会だ・・・・。

お金があれば、その寿命の中でたいがいの事は、出来る世の中、これはたしかな事だと思う。

お金によってたいがいの自由を保証し・・・労働力や生産性を高める事で人をコントロールするシステムだと思う。
それだけだとお金だけに執着する人間を作るのである程度のルールを法律によって決めている。

人の知恵、そして歴史、勝ち残ってきた民族のやり方を多くの人は、真似て行く。

勝ち組と負け組と言う概念が生まれてくる。

倫理や正義、と言うのも学問的に研究されても結局の所、勝ち残り組の意見が正しいとされる。
勝ち残り組とは、多数決的な物と、繁栄をもたらした物とも言える。


歴史の中に起こってきた改革と言うのは、今までのやり方に疑問を持つ人が増える事によって成り立ってきた事なんだと推測する。弱者とされる人が、立ち上がる時。

相撲の理事決め、政治の問題、芸能人の薬物使用、その他、様々な事件・・・
日々の報道を見て、人は何かを感じる。
深く考える人もいれば、雰囲気で感じる人、また何も思わない人・・・それぞれに思う事があるんだと思う・・・。

そして・・・自分の納得出来る事には、賛同し出来ない事柄には不快感をしめしたりもする。

多数の人の感情をコントールする為に・・・勝ち残り・・・と言う概念で日々を歩む。

またお金と言う枠を外して考えても・・・勝ち組・・・と言う概念はある。

勝ちとは・・・一言で言えば、幸福度的な物。

幸福で勝てなければ不幸度で上位を目指したりする事もある。


こんな人の勝ち残りに拘る姿勢は・・・一体何なのか・・・今日は考えてみた。

勝ち残り的な所に、人は、何かを見出し、そこを目指す。

まず考えたのは、これは、本能なのか?

と疑問が湧いた。

そして本能と言うことを調べてみたら・・・本能と言うのは、広義な言葉で、それ自体は、意味をなさないとされているとの事。

なぜか・・・?

人の本能と言うのは、「ほとんど存在しない・・・」
と言うのが今の研究の結果だとか・・・簡単な理解だけど(笑)

実は、今日、歯医者さんで、同じ話を聞いたので調べてみたんです。

歯医者さんは、極めて本能に近いとされるのは・・・息をする事だと考えたらしい。

歯医者なので、色々な研究をするらしく・・・
例えば・・・歯の矯正やヘッドギアをつけて固定して顎の自由を奪うとか・・・それが人間の精神状態とどう影響するのか・・・

うつ病と判断される人の歯のかみ合わせの傾向だとか・・・歯ぎしりについてだとか・・・。

本当に有意義な話が聞けた。

歯ぎしりとは、寝ている時にする脳のマッサージ・・・と言うのが、最近の有力な説との事。
肩こりの時、肩を叩くのと一緒で、寝ている時のストレス発散行為だと説明していた。

そんな話から・・・・僕は、寝ている時にしている事は、本能・・・と言うか

「生命を維持する」

のに体が欲する事だと・・・過程してみた。



睡眠には、ステージがあるとwikiに書いてある。
難しい事は飛ばして(笑)端的には、意識レベル?みたいなのが違うのだと思うが・・・

寝ている時にしている事・・・

呼吸・・・寝返り・・・時には排泄などもする。

寝方に拘る人もいる。

枕やフカフカの布団・・・・抱き枕。

また他者と一緒に寝る人もいる。

親、恋人・・・寝ぼけている時にふれあったりもする。


この中で・・・ストレスにならない事は、やはり呼吸ではないかと思う。

と今、僕は、突然思い出した。


中学校の時・・・先生に僕は、こう言ったことがあるのだ。

「もう息をするのもめんどくさい。」

その時は、別に生きたくないとも思わなかった。
ただ、苦手な事に向き合いたくなかった・・・

向き合いたくないから・・・全てに対して「無気力」な人を演出しようとして出た言葉だと・・・今、考えると思う。


なぜ、人は、苦手意識やコンプレックスを持つのだろうか・・・?
それは、経験による所が大きい。

今の僕の状況をグローバル社会に当てはめてみると・・・お金や将来性と言う意味では・・・負け組に入ると思われる。

3万人いると言われる自殺者に数えられる日も遠くないかもしれない・・・

経験によって人、子供の未来が変わる・・・勝ち組に入る要素が増える。

そして「かわいいわが子」に良い経験をさせようと・・・幼児教育などに力を入れる事になる・・・。

良い悪い、勝ち負け・・・競争社会の始まりだ・・・。

競争社会が悪いとは、僕は思わない。
たくさん競争して自分の能力を確かめたり高め合ったりして良いと思う。

しかし・・・・その競争により・・・

「現実を受け止められない」

そんな心を作ると言う事がある事は、自身の心にとめておきたいと思う。

現実を受け止められない人は、どんどん負けて行く。
勝者は、努力をしていると思う、その結果なんだと思う・・・そして勝てる人は、どんどん勝つ・・・ある時、なにもしなくもて勝てる事に気づく。

つまり相手に屈辱感、恐れを与え・・・弱いものを作る事が、勝ち残る事だ・・・と言う事になっていくのである。

努力するにしろ楽に勝つにしり・・・・・・勝ち負けにによる、「二極化」です・・・結果しか人には見えないから。


本題に戻る。

「生命を維持する」

のに体が欲する事・・・おそらく全ての生物は・・・生命を維持する事・・・を本能として生きている。

人間の場合は、「知恵や理性」・・・つまり考える能力が、他の生命体より進化しているので・・・生命を維持するシステム、そこに色々な要素を加える事が出来る。

ショッピングをしたり、仕事をしたり・・・子育てをしたり・・・教育をしたり・・・勉強をしたり・・・ストレスや不安を解消しようとしたり・・・生命その物を長くしようとしたり。

その要素は・・・欲求・・・つまり欲だと表現出来る。

生命を維持する「付加価値」が・・・欲・・・・。

その人の欲をどうコントロールするか・・・結局の所、人を統治するには・・・

生命維持ではなく・・・付加価値をコントロールする事・・・。

付加価値は、欲であり、罪であるので捨てなさい・・・と言う人もいれば・・・
付加価値を、なくしたら人は終わりだ・・・・・・と言う人もいる。

付加価値のコントロールにより・・・戦争や殺し合いもあれば、また平和な時もある。

「倫理や正義、善や悪」

と言うのは、一種の付加価値、でしかない事を思い感じる。

また自分は、倫理的で、正義があり、善を行っている・・・だから自分は正しい・・・と思う人も世の中には、存在するかと思う。

たしかに正しいかもしれない・・・が・・・他者から見たときにその価値は、全く違う事にうつる事もある。

1つの例として・・・人間には、痛みがある。
肉体的にも精神的にも痛みを感じる事がある・・・

叩かれれば痛い、叩いた方も痛い。
お互いに痛い・・・しかし本当に相手が痛がっているのか、それを実証出来る物はない。

また痛みを感じてないのかも分からない。

それは・・・・他己の神経の伝達は、自己の知り得る所ではないからです。

付加価値と言う倫理や正義の曖昧さに気づいた人の中には、色々な事を説いたりしたりして・・・他者と自分をコントロールしようと思い立つ人も出てくる。

それら全て結局は、人の考える事であり、良くもなれば悪くもなり・・・限界にぶつかる。
限界を超える事は、死を乗り越えると言うことなので・・・人間には不可能・・・不可能を可能にしている様に見える事に・・・人は賞賛を与えたり、感動を覚える。


ここで立ち返るべき所に僕は、気付かされる・・・。
他者は、どんな事に痛みを感じるか分からない・・・賞賛や感動が・・・向き合えない人を作る。

また不可能を可能にすると言う事に賞賛を与えるのは、人の闇の部分を覚醒させる事にもなりえるかもしれない・・・。

ここまで、書いてみて・・・何も出来ない自分である事・・・人の営みや交わりの中にある様々な事柄を思わされます。



さて・・なんだか話が、あっちいったりこっちいったりしてしまいましたが・・・

呼吸をする事だけを本能として・・・

「生命を維持する」

事だと考えた時に・・・呼吸をする事に・・・何か普遍的な価値を見いだせば・・・小さくもあり大きくもある価値観を与える事が出来る様に思う。

心臓が打つ回数は、人の寿命と連動すると言われている。
つまり早い人は、早くその生を終わるらしい。

実際にそういう先天性を持った人を僕は、知っている。

また、呼吸、息を吐く行為をする時は、心臓の動きが、ゆっくりになると聞いた。

小学生の頃、プールに行った。
あまり泳ぎは得意じゃないのだが・・・その時は、調子にのって少し深い所で遊んでいた。

そして飛び込んで泳いだのだが・・・息継ぎが出来ず・・・プールサイドまで本当に死ぬ思い出泳いだ。

その時に感じた事・・・ただ死にたくない・・・そう思った。
わずか、数十秒だけど・・・その苦しさに本当に死ぬと思った。

呼吸を出来ない苦しさは・・・どれだけの物で在るだろうか・・・。
先日の床屋さんでも・・・顔そりの際にタオルをかぶせる。
一瞬、その熱気で苦しかった。

火あぶりにされる・・・そんな事を想像してしまった。



呼吸が出来る事・・・・それだけでもものすごい安心感であり、意味があると言うこと・・・

目の前の他者は、呼吸をしていると言うこと・・・それだけを大切に思えたら・・・

それが・・・愛とか思いやり・・・なのかもしれない。


イスラムでは、「神との出会い」を無呼吸を使って表現する事もあると言う。

呼吸をすると言う事は・・・酸化をし・・・死んで行くと言うこと。
お金では買えない生命、人がいくら求めても得れない絶対的な安心感=永遠。

が・・・実は・・・

死んで行く事を認められる事が・・・人を生かす最大の安心感を与える事になる。

そんな矛盾を・・・今日は、書き残して寝ます。

おやすみなさい♪
| 見つめ直し | 02:10 | - | - |
生き生きと
幸せとは?ネット検索してみた。

 生き生きと生きる
 一生懸命生きる
 喜びを感じる
 良いコトをする

そんな解説が多分に見られた。

よく分かる話で実際・・・僕もそう思う。

昼間、信号待ちをしていた時に考えた。
たくさんの人が、街を歩いている。

視界に入る人達、また過去出会った人達の中で

「生き生きと生きてない人、一生懸命生きてない人は・・・一人もいない」

つまり生きている事で命をかけてない人は、誰一人いないのだ。

しかし僕たちは、その事を忘れる。
記憶から忘却させている。

それは・・・人が一生懸命している事を認めるのが怖いから・・・
家の中で一生を終える人、光を見ない人・・・社会的に認められる人・・・全ての人が命をはって生きている。

競争社会とは、人を認めたら生きていけない社会。

いや・・・本来はそうではないはずだ。

競争社会で先に立つ物は、後の者よりずっと後に立ったり・・・・手を差し伸べたり・・・
そんな事が、許されるているのが資本主義で競争社会だと思う。

しかし・・・人の欲求の中の自由と言うのは・・・平和には繋がらない。

なぜ?

一生懸命に生きる事が、人生を幸せにする、生き生きと生きる事が、成長につながる。
そういう事は、・・・そうでない人を生む・・・

そして一生懸命の競い合いになり・・・いつしか・・・邪魔な人、ついて行けない人を・・・切り捨てて行く。

切り捨てた人を見て・・・また成長していく・・・いつしか争いになる。

「社会に出たら困るから勉強しなさい、お金がないと生きていけないのよ」

たしかにそうかもしれない。

困るから勉強するのか・・・生きたいからお金が必要なのか?

それならば、すぐ反論を思いつく。
こうだ・・・

「困ってもいい、生きなくてもいい。」

人間社会に平和はありえない。
殺し合いと憎み合いしかない・・・。


そんな反論をする人を・・・他者は見捨てる、何も出来ないから・・・

僕は、1つ希望を持っている。

人は、何も出来ない事・・・・この事に気づくこと・・・

そこには、希望がある。

僕は・・・生まれてから今まで何も出来ない人生だった。

これからも出来ない。

HOOPERSに、ホクレアと言う曲がある。
MCで、クルーを助ける為に一人、海に飛び込んだ人の話しを聞く。
しかしクルーは助かり、海の中で一人遭難してしまった・・・。

僕は、そんな話を聞いても何も感じない。

ただ1つ共感出来る所・・・
それは・・・

クルーを助けようと思い、海に飛び込んだ。
自分がやるしかない、使命感、責任を果たさなければならない気持だったのかもしれない。

使命感や責任感は、僕には、よく分からない。

が・・・大自然の中、大海原の中、一人苦しみ、何も出来ない事を感じさせられた・・・そうだと推測した時に・・・はじめて共感出来る気持が、僕にもある事に気づく。

悲劇ではない

人が、何も出来ない事を気づかせる為に神が与えた事実である、そうあって欲しいとただ望む。

そう気付かされた時・・・心と肉、過去と現在、弱と強、知恵と理性、善と悪、有と無、生と死、闇と光、現実と妄想その全ての被造物に・・・・意味を思えるのではないだろうか・・・。


全ての人は、生き生きと生きている・・・その中でもとりわけ・・・

弱き事は幸せです・・・

何も出来ない弱さでも・・・そうであって欲しいと・・・ただ思います。

生きている人が必ず感じる弱さを感じる事・・・それは死。
死に対して何も出来ないのが人間です。

何もできない弱さに気づくことは、死と受けいれる。
死を受け入れる時、初めて受け入れ向き合える事もある・・・。

今日は、去年なくなった伯父さんの月命日、お花を送った。

さっきお風呂で考えていた。

自分は、どうやって死ぬのかな・・・・と

病、怪我などによる自然死、他殺、自殺・・・
苦しむのか・・・楽なのか・・・

受け入れて死ぬか、受け入れられないのか・・・・。

近所に流れいてる川がある。
平作川と言う。

僕は、その川沿いを幾度となく歩いている。
その度に・・・あと何回この川は、僕と出会うのかな・・・
僕の心に何回ふれていたのかな・・・今の心と同じ日は、あったのかな・・・

川だけが知っている事実があるんだろうな・・・。


数日前は・・・こんな事を思った。

「今日も生かされてしまった・・・昨夜、死なせて・・・と祈ったのに・・・」



誰か、教えてください

心は、心
愛は、愛
命は、命
生は、生
死は、死

と言うことを・・・

そして・・・


人は、人である事を・・・

知っている人は、どれくらいいるのだろう?

こんな問いで今日の日記は終わります。




| 見つめ直し | 00:00 | - | - |
安心感と笑顔
日々、色々な事が起こる・・・作為的、衝動的、突発的・・・。
巻き込まれる人、当事者、加害者、被害者・・・。

後にその出来事を論じ評価もする。

人は、知恵によって何かを考え作り・・・暇つぶしである歩みに意味を持たせる。

知恵によって何かを生み出す・・・知恵によって滅びる。
知恵によって不安を感じ・・・知恵によって不安を埋める。

これは人間の性・・・暇つぶししかない人の成長と歩み・・・

知恵によって作り壊す・・・。

限りがある事によって作って壊す事を永遠にし続けなければ、人の未来はない。

日本だけで考えてもその歴史を見ると様々な事があったらしい。

大化の改新、応仁の乱、戦国の世、関ヶ原、2世紀半続いた江戸、明治維新・・・近代の戦争・・・郵政民営化、管から民・・・自己責任・・・自民から民主・・・。

この歴史と言う過去に果たして意味があったのだろうか?

僕は、ないと思う。
1つもないと思う。

しかし・・・ただ今、存在する自身を考えたときに過去と言うことがたしかに存在した。

そうとしか思わない。

意味と言うのは・・・果たして何なのか?

良い事、悪い事、勝ち負けの二元論なのか?

それとも起こりうる現象全てに意味があるんだろうか?
意味があるかないか・・・その事は、自分で決める事なのか?

だとすれば・・・

僕と言う存在は意味がない。
おそらく全く意味がない。

なぜそう思うのだろう?

単純な言い回しをすれば・・・ただの気の持ちようだ。

それと同時に・・・意味がない・・・そう自分を思う根本は・・・
生に耐えうる自分がないからだと思う。

おそらく、生物は、生きている限り、生きている。
しかし生きている事に耐えられない自分だとしたら・・・本当に意味がない。

意味がないと感じた時に・・・僕の知恵は、確実に来るであろう、肉体の死に意味を見出す。
生きない事で何かを作ろうと・・・意味を持たせようとする。

生きるにしろ生きないにしろ、何かに意味を持たす事は、すなわち欲求であり、人が自己中心的である事の証明だと思う。

僕は、演奏をしたりCDを作ったり、食べたり飲んだり普通に暮らしている。
その1つ、1つについつい意味を持たせようとする。

CDのジャケットはどうしようか?
曲数はどうしようか?
採算のとれる売価は?
なるべく時間をかけないで・・・。
美味しいものを食べよう・・・時間を無駄にしない為には?

おそらく人間は、どんな人間でも・・・

優れた人、器用じゃない人、障害を持った人、病気の人、偉人とされる人、権力を持つ人、貧困に苦しむ人、救済する人、優しい人、綺麗な人、小さい人、大きい人、この瞬間にも命を絶つ者、喜びに溢れる者、法律を守れない人、取り締まる人、裁く人・・・

どんな人も自分中心で考えている。
自分中心で考えない人は、存在しない。

存在する=自分中心

と言う方程式が成り立つ。


そんな事を思い考えて過去に対峙する時、未来を推測する時・・・
自分の存在をなくしたい・・・・・存在した事に恨みさえ感じる。


僕と言う人は、本当に恐ろしい心を持っている。
誰の事もなんとも思わないし、自分の事だけを思う時も自分の事すらなんとも思わない事も・・・・

またそんな自分がいるのを感じながら・・・他人に声をかけたりしてみる。

「元気ですか?」「大丈夫ですか?」「また会えて嬉しいです」

自分の心は、そんな事を口でいいながら・・・他人が不幸になる事を望んですらいるのだ。

恐ろしい・・・

そうBOOWYと言うバンドの曲に「モラル」と言う曲があった。

人の不幸を喜び、それがモラルでエチケットだと言う歌詞。

人間は、と言うより、僕は、悪魔的な心しか持っていないのかもしれない・・・。


こんなBLOGを書いていると「おかしな人だ・・・・」とか思われてしまうのだが・・・

これがアーティストとして曲や文学になると、評価と言うことをされたり、人の心にスッーと入っていく。

そんな事を思い考えて見ても・・・人の怖さを思う。

人の心の怖さ・・・思い込む事の怖さ・・・。


さて・・・長い前説はこれくらいにして・・・今日の出来事を書き記しておきたいと思う。

今日は、散髪に床屋さんに行ってきた。

いつもの様にあれやこれや考える自分のままで調髪して貰っていた・・・生きるってなんだろう?なぜ死にたくなるんだろう・・・等々・・・。

その時だ、唐突に床屋のお兄さんが話かけてきた。
僕は、全く予想だにしてなくて・・・ちょっとびっくりしてしまった。

床「今日はおやすみですか?」
大「ええ・・まぁ」
床「何のお仕事なんですか?」
大「楽器を弾いたりしています」
床「すごいですね」

床「夜ね、スーパーでよく買い物してビール呑んであるいてますから〜」
大「最近は、24時間スーパーが開いてるから便利ですよね」

等と会話をした。

どうやら夜な夜な、商店街を一人飲み歩いてるらしい。

会話の最中に・・ラジオから・・・カシオペアのドミノラインが流れてきた。
僕は、この曲が大好きで、何度も何度も聞いていた。
ライブバージョン、ミントジャムスと言うアルバムの物だ。

少しなつかしい気持になった。

なんを言いたいのかと言うと・・・

僕は、ゆっくり考えたいと思い床屋さんに行って散髪をしたのに・・・
話しかけられた事により・・・他人とのずれを感じ得た。


その時に、なんて自分はわがまななのだろうか・・・
もうどうしよもないくらいわがままで・・・もう本当に誰とも話したくないし・・・・・・と言う思いになった。


ここで・・・
今まで生きてきた所から・・・自分の性格を分析して見ようと思う。

自分に意味がないと感じている。
意味のない自分だから・・・限りのある世界、資源、他者に譲った方が良いと考える。
しかし譲る事すら他人に対して意味のない事や未来のない事を与えてしまう。

自分の存在を消すことによって・・・全てを良かった事にしたい。
自分さえいなければ・・・この自分の存在さえなければ・・・・そう思いつめて行く。

思いつめた時、何かを得たい気持で生きない事、存在の否定・・・分かりやすくかけば・・・存在から「逃げる」

僕の性格は・・・「存在から逃げる」

存在から逃げる事で今のところとりあえず、法的にふれる様な事はしていない。
しかしいつそんな自分が出てくるのか・・・考えると恐ろしい。

それは、日々、起こる事件をニュースで聞くから。

そんな自分に気付かされた時、事件を起こした人の気持を聞いてみたいと思う事がある。

なぜ虐待をしてしまうのか?
無差別殺人をしてしまうのか?
・・・

かろうじてしてない僕は、恵まれている・・・そう言い方で良いのか?
もしかしたら犯罪を犯したことにより存在を肯定出来る、一人格者になるのか?

「意味」

とは・・・良きも悪きも全ての出来事においてちょっとした肯定の事なのかもしれない。

知恵は、意味を見出す・・・良き悪きも・・・存在の肯定へ導く。
少なからず僕は・・・「存在から逃げる」この事で意味をみいだしている。


床屋の帰り、あれやこれや考えながら歩いていると・・・母からメールが入る。

母「今日は、夕食作りに行くけど、夜はいるの?」


僕の心に一瞬の光りがさした。
その光は・・・安心感だった。

返信をした。

大「います、お願いします、何か買い物はありますか?」


安心感を与えられた時・・・存在が、僕に語りかけた。

「生きる意味のない人間だけれど、ただ一瞬の笑顔が与えられば良い・・・」

僕の生きてきた過去、逃げる事、悲しみと苦しみ、わがまましかない僕の知識と知恵と過去は・・・知っていたんだ・・・人の知恵によって笑顔は作れない事を・・・






安心感・・・それは・・・ただ与えられた笑顔に・・・変わります。

笑顔が与えられた時・・・人は・・・存在を肯定出来る。


祈っています。

「たくさんの笑顔が与えられる日、悲しみも苦しみも絶望も死も生も悪も善も知恵も理性も・・・全ては・・・たくさんの笑顔への導きであります様に・・・」


おしまい♪
| 問いかけ | 00:41 | - | - |
iPad
さて・・・ものすごく風の強い中・・・死にたい気持を祈っているさなか・・・

世の中では、iPadと言うものが発表されていた(笑)


3月発売・・・買っちゃうきもする。
お金はないのだが・・・。

譜面に使えれば買う(笑)
簡易録音に使えれば買う。

ムービの録画、容量的に無理そうだ。

cpuの性能は、どうなのだろうか・・・もうそういった事に全然知識がないので・・・。


しかし・・・こんなのみんなが持ち歩く様になって・・・そのうち音声でアウトラインを作れて・・・

スタートレックな日は、近いのだろうか・・・。


次回ライブは、茅ヶ崎フロッギーズです。

よくよく考えてみると・・・僕は、一年近く、このお店に行ってない気がします。

皆様とお会い出来るのを楽しみしています、足をお運び下さい。

1月30日 茅ヶ崎フロッギーズ@HOOPERS

20時ごろスタート♪
| Mac&PC | 10:38 | - | - |
生きれない時・・・
昨夜は、ミリデリにてHOOPERSライブでした。
ご来場の皆様、ありがとうございました、感謝♪

さて・・・帰宅して車の中で少し考えてみたので・・・書き記しておこうと思う。
またいつもの様に(笑)少し過激な?感情表現もあるかもしれないので・・・20才未満の方は、読まないで下さいね(笑)

過去の告白から始める、と言ってもこのBLOGでは何度も書いているのだが。
僕は、異性と長く?お付き合いをしていた事がある。

その時折の気持や出来事は、過去の歴史として僕の記憶にある。

実は、さっき・・・初めて、死にたいと神に祈った。
死なせて欲しい・・・そう祈ったのだ。

今すぐに・・・。
が・・・精神状態の様な物は、すごく安定している。
何か不安だったり、憤ったりしてはいない。

ただ、死なせて欲しい・・・その思いを神に祈った。

なぜなのだろうか?

気づかない辛さや苦しさなのか・・?
生から逃れたいのか・・・?

生も死もどちらに固執するのも囚われだ。

そんな祈りを少しずつ紐解いて行こうと思い、車中で、15分ぐらい考えた。

思い出、記憶に残る場面、場面・・・

彼女を失った苦しさ
彼女に対する罪、ごめんなさい・・・と思う気持ち・・・

色々な思い、それらは全て要因と成り得るのだが・・・
一番、死なせて欲しい事・・・それは・・・

彼女の事を悪く思う気持だ。

おたがい様、と思う気持だ。

彼女だってこんな事やあんな事をしていた・・・と自分を棚にあげて相手に投げて楽になろうとする自分がいる事。

この思いは、今、薬物などがあったら飲んで死んでる。
そう思うぐらい大きくなる事がある様だ。

相手になすりつけられない。
しかし相手になすりつけ、全て相手が悪い・・・これが僕の本心だ。


そしてなんでその先が、死なのか・・・・

僕が生きる心があると言うことは・・・その相手を悪く思う気持が現実になる。

その現実を消したい、そして成し遂げたくない。
これは、全てに言える。

何かに対して怒ってしまう・・・人間なんだから当たり前だと思う。
が・・・もし自分と言う人間の本性が出て・・・怒り狂って無差別殺人などを起こしてしまったら・・・

本当に僕は、怖い。

あまりにも大きすぎる自分、人を巻き込む自分の心が。

神は、ひきこもる事を許してくださるだろうか・・・
もう人と接しないで、ひっそりと・・・生きる事をお許しくださるのだろうか・・・。

それともすぐにでも死を与えてくれるのだろうか・・・
僕の本性が、現実になる前に・・・。

政治家、戦争、権力者、預言者など・・・殺される事がある。
それは、その思想なり、予言を現実化させない為。

僕は、僕自身の醜い心、現実化させたくない。
が・・・時、すでに遅しで・・・たくさん現実化している。

しかし僕の心が消えれば、それで全てが良かった・・・そうなるはずだ。
あまりに大きい僕の醜い心・・・どうしよもないのだ。


少し過激な事を書いているが・・・
それでも生を望むのが人なのか?



またなぜこういう思いになったか経過を・・・書いてみる。


帰りの車、一人で走っていた。
その時に、無欲になった、一瞬。

その無欲とは、どういう事か?


無欲とは、今まで欲からしか祈ってなかった。
そのことに気付かされた。

欲しかない自分に気付かされた時、一瞬、無欲になった。

そしたら・・・死なせてください・・・と祈れた。

少し怖い・・・まぁどう思っても思い込みではあるのだが・・・。

1つの人間関係は、それこそお互い様である。
なので、自分ばかり責めなくても良い。

たしかにそうだと思う。

が、僕は、僕である事から考えると、結局、人は孤独だ。
孤独じゃない人は、誰一人いない。

つまり周りの人間関係と言うのは、あって無いもの。

自分、一人の事だけしか考えられない。


もう少し、色々と話をつなげたいのだが・・・考えた事を忘れてしまったのでこの辺りでやめておく。


おやすみなさい♪
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